小説 オペレーター・ジャパン
第1章:運営者(オペレーター)
第1話
国家が崩れるとき、街は静かになるのだと知った。
怒号も銃声も、ニュースの見出しほどには続かない。
私はある「国」に呼ばれた。いや、この間までは「国」だった場所だ。
本名を名乗る必要はない、と言われた。身分証の提示も求められなかった。必要なのは技能だけで、人格は要らないらしい。
「あなたの職歴だけで十分です」
そう告げた相手の声は、ひどく丁寧だった。丁寧な声ほど信用できない、と私は長年の現場で学んできた。
空港から市街地へ向かう車窓の外に、巨大な広告塔が見えた。
かつては党のスローガンが流れていたはずの塔に、今は配達アプリのロゴが点滅している。政治の看板が剥がれると、最初に貼り直されるのは生活の看板だ。人は思想より、今日の米を先に必要とする。
車内で渡されたタブレットには、私の役割が簡潔に書かれていた。
任務:国家運営庁(National Operations Bureau)設立支援
範囲:物流・住民登録・電力料金徴収・医療配給・行政窓口の再起動
期限:90日
権限:現地決裁、優先配分、臨時ルール制定
90日で国を「再起動」する。
まるでスマホの初期化だ。だが国は端末ではない。端末なら壊れたら買い替えればいい。国は、買い替えられない。
私は前職で、日本の地方自治体の「業務改善」を担当していた。役所の窓口が混む理由、申請が遅れる理由、苦情が爆発する理由、そしてそれらがなぜ「誰も悪くないまま」発生し続けるのか。
私はそれを、書類と現場の両方で見てきた。
だからこそ呼ばれたのだろう。
この国――ここでは仮に「連邦A」と呼ぶ――は、長い間、巨大な世界の工場だった。
工場には、工程がある。ルールがある。出荷がある。
だが工場は、誰かが止めると止まる。止まった後に必要なのは「理念」ではない。「再稼働手順」だ。
「あなた方の国は、強い主張をしないと聞きました」
迎えの車内で、通訳を介して男が言った。
「はい。主張は…あまり得意ではありません」
私がそう答えると、男は少し安心した顔をした。
主張しない人間は扱いやすい。
だから選ばれる。
それが真実だ。
国家運営庁のビルは、かつての党関連施設だったらしい。広いロビーに、撤去された銅像の跡だけが残っている。床に円形の色ムラがあり、そこだけワックスがかかっていない。
連邦Aの党が崩壊し、人々が銅像を倒しても、像が立っていた場所はしばらくは残っている。
案内された会議室には、すでに4人いた。
1人は、元・政府の実務担当。目が疲れているが、手の動きが異常に早い。書類を回す動きだけが動物みたいに滑らかだ。
2人目は、巨大企業の「運営」担当者。スーツが新しく、彼もまた目が乾いている。
そして3人目に、軍から来た大男。沈黙が多く、結論が短い。彼は命令に慣れているのだろう。そういったムードが漂っていた。
4人目は議長役だろう女。派手なスーツにリボンがついたヘアスタイル。用意されたテーブルの中央に座っている。
彼女が私に向かって言った。
「我々は政治を再建しようとしているのではありません。運営を再開したいのです」
運営。
その単語が、ここでは救命ロープになっていた。
「政治は、いずれ誰かがやるかもしれません」
女議長は続ける。
「しかし今は、住民票が発行されず、薬が届かず、給料が支払われず、電気代が徴収できない。運営が停止している。…あなたの国は、運営の国だと聞きました」
運営の国。
そんな呼ばれ方をしたのは初めてだった。褒め言葉なのか、侮辱なのか、私には判別がつかない。
私はタブレットを閉じ、女議長に言った。
「運営は、理念で動きません。手順で動きます。まず、現状を見せてください」
女議長は頷き、壁面のモニターをつける。
画面には地図が出て、赤い点が無数に瞬いている。
女議長に聞くと、赤は停電、物流停止、薬不足、未払いの意味だと言う。
国家全域がが赤く点滅していた。
「最初にどこから手を付けますか」
軍の男が私に訊いた。
私は少し考えた。
そして、最も地味で、最も効果の大きい場所を指さした。
「住民登録です」
私は市役所を指していた。会議室が一瞬、静まった。派手な答えを期待していたのだろう。発電所とか、港とか、銀行とか。
私は続けた。
「住民が誰で、どこにいて、何が必要か分からなければ、配給も徴収もできません。運営の最初は、名簿です。名簿は国家の血液です」
実務担当が眉を上げた。企業の男が息を呑んだ。軍の男は頷いた。
女議長だけが、静かに笑った。
「それです」
彼女は言った。
「我々に足りないのは、英雄ではなく名簿なのです」
私は自分の手帳に、古いクセで三つの言葉を書いた。
見える化。標準化。改善。
工場によく掲げられている標語が咄嗟に出てきた。
だが今、私は工場ではなく国家を相手にしている。
連邦Aは、長い年月をかけて先進国の機械やIT企業を自国に招いて生産方法を覚え、それを自国の技術として積み上げてきた。
機械製造や図面作成だけではない。現場の型、運営のクセも含めてだ。
そしてその結果は「先進国」から連邦Aへ「作業手順」によって積み上げられてきた。
党が崩壊した今では、その思想を掲げる必要がない。
そうなると国家が掲げる標語は、見える化。標準化。改善。となるのか?
しかし連邦Aを再起動するには、思想ではなく、私の技術と作業手順が要るのだ。
その手順は、また誰かの支配にもなりうる。

