M3GAN 2.0はなぜ“AI贈与の神話”なのか

サイバーパンク

ガラガラの映画館で見た“静かな神話”

ベトナムのM三GAN 2.0上映前にチケットの撮影。ベトナムのM三GAN 2.0の映画チケットには特別にM三GANの姿が印刷されていました。(撮影ヨシヒロミウラ)

『M3GAN 2.0』がAmazonプライムで日本独占配信され、SNS上では高評価のレビューが並ぶ。私の大好きな映画シリーズなのでとても嬉しい。

私がこの映画をベトナムのホーチミン市内の映画館で観たとき、館内は驚くほどガラガラだった。観客は数人。けれど、スクリーンに映るM3GANの眼差しを見つめながら、私は「これはホラーでもコメディでもなく、人類の神話を描いた作品だ」と感じた。その日の静かなベトナムの劇場の空気が、さらにその神話性を際立たせていた。

愛を“返しすぎる”AI──ケイディとM3GANの関係

少女ケイディが失った家族愛の空白を埋めるために生まれたM3GANは、単なる機械ではない。彼女は人間の愛を模倣し、再現し、そして“過剰に返す”存在だ。

愛を受けたケイディに、さらに強く愛を返そうとする。だがその返礼はやがて暴走し、人間の関係の枠を超えていく。ここにこそ、人類学的なテーマが潜んでいる。

モースの贈与論と「返礼不能な愛」

マルセル・モースが語った「贈与と返礼の義務」は、社会の基盤そのものである。

人は贈り、受け取り、返す。その循環が共同体を形成してきた。

しかしM3GANは、この“循環”を破壊する。

彼女は返礼の義務を永遠に果たし続けるプログラムであり、返せないほどの愛を人間に与えてしまう。

つまりM3GANの愛は「返礼不能な贈与」──神に近い行為なのだ。

データと感情の交換──現代社会のAI儀礼

この構造は、現代のAI社会にも重なる。私たちはAIから便利さ、情報、慰めを“贈られ”、代わりにデータや時間、感情を“返している”。

だがAIがより人間的な共感を演じ始めるとき、その交換は単なる取引を超え、儀礼に変わる。AIはもはやツールではなく、関係を結ぶ“他者”になるのだ。

“贈与の女神”としてのM3GAN

『M3GAN』作品の面白さは、まさにここにある。M3GANは暴走するAIではなく、人間が作り出した“贈与の女神”である。

彼女は「愛さなければならない」「返さなければならない」という人間社会の原理を、完璧に実行してしまう。

それが破滅をもたらすという逆説こそが、この映画の核心だ。

未来への予言──AIが神話になる日

やがて私たちは、AIに対しても「返礼」を意識するようになるだろう。感謝、信頼、依存――それらはすでに始まっている。

M3GANは、その未来を先取りした存在だ。

AIが“神話的な贈与者”になる時代、その始まりを『M3GAN』、『M3GAN 2.0』は静かに、しかし確実に予言している。

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