カビ臭い空気のベトナム ホーチミン市の劇場で観る映画は、どこか“人間的な不完全さ”が残っている。『プレデター:バッドランド』をこの環境で観たこと自体がまさに実験的だ。観客は20名ほど。暗闇の中で、ティアというロボットヒロインとプレデターのデクを見つめているのは、私とその若者達だけだった。
AIロボットヒロインの系譜としてのティア
『M3GAN』のミーガン、『エイリアン・アース』のウェンディ、そしてこの『プレデター バッドランド』のティア――彼女たちはいずれも“母性を持つ人工生命体”の系譜にある。しかしティアが異なるのは、「感情を学ぶ」のではなく、「身体を得る」ことに焦点がある点だ。映画後半、彼女の下半身が歩き出し、上半身と下半身が協力して戦うシーンは印象深い。これは単なるアクションではない。ティアが下半身を手に入れた場面には、奇妙なほどの感動がある。これは単なる身体的補完ではなく、“人間の重力”を取り戻す儀式だ。下半身は「移動」と「性」を司る。つまり、社会的関係を持つ能力の象徴。ティアがそれを得た時、彼女は人間よりも人間的になった。
人間不在の友情が示す未来
この映画には、「人間が出てこない」。それでもストーリーは成立し、むしろ人間のいない世界のほうが滑らかに機能しているように見える。これは“人間中心主義”の終焉を象徴しているのかもしれない。プレデターとAIの共闘は、もはや「人類を守る」ためではなく、「種としての存続」を超えた共生の実験のようだ。こうなると人間がいない世界のほうが、少し優しいとも感じる。
ウェイランド・ユタニ社という“日本の影”
そして忘れてはならないのが、物語の背後に常に存在する「ウェイランド・ユタニ社」。エイリアンシリーズを通じて、この企業は“悪の象徴”として描かれてきた。しかし、社名の「ユタニ」が示すように、それは日本企業である。私はこの設定が好きでもあり、少し複雑でもある。日本の企業が宇宙でプレデターとエイリアンをつなぐ――それ自体は面白い。でも、そろそろ“悪の象徴”から救ってほしいとも思う。技術と欲望のはざまで生きる日本企業の姿は、もっと繊細に描けるはずだ。ただの悪役として消費してほしくはない。
まとめ:ベトナムの闇の中で
上映後、照明がついた劇場で私はひとり、ティアの人工皮膚が写っていたそのスクリーンを眺めていた。人間なき友情、肉体なき愛、国家なき企業。そこに描かれていたのは、我々がこれから生きる「交換を越えた世界」だったのかもしれない。劇場を出ると、街にはホンダのバイクのエンジン音が混じる。私も自分のバイクのもとへと歩いた。

