――技術移転の果てに残った「運営」という問い――
中国の発展は、突然起きた奇跡ではない。
それは、長い時間をかけて「共有された結果」だ。
日本は1980年代から、中国に技術を渡し続けてきた。
だが当時の日本は、その代償が「ここまで」になるとは想像していただろうか。
これは責任追及の物語ではない。
だが、無関係だったと言い切るのも、また不誠実だ。
1980年代、日本は何を中国に渡していたのか
1980年代以降、日本企業は中国へ進出し、数え切れないほどの工場を建てた。
そこでは機械が据え付けられ、図面が配られ、人が配置された。
しかし実際に渡されていたのは、製品を作る方法だけではない。
「なぜこの工程が必要なのか」
「不良品が出たとき、誰がどう動くのか」
「問題は現場で解決するという考え方」
それらはマニュアルに書き切れない、仕事の文化だった。
日本は深く意図せずして、中国に「現場が自走する仕組み」を移植していたのだ。
技術移転の正体は、ノウハウではなくOSだった
機械は更新される。
製品は変わる。
だが、思考の型は残る。
品質管理、改善活動、報告と共有。
それらは単なる業務手法ではない。
組織を長く、壊さずに回すためのOSだ。
このOSは、天才を必要としない。
一部の英雄に依存しない。
誰が担当しても、一定の成果が出る。
国家規模で見れば、これは小さな「統治技術」と言えるかもしれない。
命令によらず、現場が動く。
恐怖ではなく、手順で回る。
技能実習生という、静かな知の循環
技能実習や研修という制度も、この流れを補強した。
日本の工場や農家で働き、日本の現場を体験し、日本の働き方の「当たり前」を身体で覚える。
彼らは政治を学んだわけではない。
イデオロギーを持ち帰ったわけでもない。
だが彼らが中国へ帰国後、その経験はそれぞれ中国の職場に染み込んでいった。
技能実習で貯めた資金で自ら工場を立ち上げた者も少なくない。
「こうすれば不良品が減る」
「こう回すと現場が止まらない」
これは侵略でも計画的な支配でもない。
ただ、長い時間をかけて実施した、知の循環だった。
中国の発展の果てに残った「政治」と「運営」のズレ
中国の経済は発展し、技術は洗練された。
製造力が世界最高水準に達した工場もある。
では、中国の国家としての「運営」はどうだったのか。
革命や理念は社会を変える力を持つ。
だが巨大な社会を、数十年単位で安定させるには、政治理念以外の別の能力が必要になる。
抑圧でどこまで安定が続くのだろうか?
ここで、あくまで思考実験として問いを置いてみたい。
もし仮に、
国家の「政治」ではなく「運営」を、
外部モデルに委ねる選択肢があったとしたら。
日本モデルが候補になり得るのか?
現在の日本は、強い思想を輸出する国ではない。
正義を叫ばない。
勝利を宣言しない。
代わりに、調整を重ねる。
妥協を積み、継続を優先する。
それは決して美しい物語ではない。
だが巨大な組織を「壊さずに回す」技術として、日本は異様なほど経験を積んできた。
ここで重要なのは、優劣の話ではない。
どのモデルが、どの局面に向いているか?という話だ。
日本モデルはどうだろうか?
これは提案ではなく、思考実験である
ーー中国国家を日本が「運営」したらどうなるか?ーー
ここまで書いてきたことは、政治的提案ではない。
現実に何かを要求する話でもない。
これは、日本から中国への技術移転の延長線上に浮かび上がる「もしも」を考えるための装置だ。
経済、技術、運営は、どこまで日中で共有されうるのか。
そして、その贈与はどこで支配に変わるのか。
この問いを脳内で繰り返すうちに、1つの物語が私の中で紡ぎ出されました。
なので次回からこの物語を小説にしてみなさんにも問うことにした。
しかしこの小説は、答えを出すためのものではない。
考え続けるための装置である。
