「憧れの日本」と「働く日本」──ホーチミンの若者と技能実習生が見ている二つの“美学”

ホーチミン市

ホーチミンの若者にとって日本は“憧れと美学”の象徴。
一方、地方から来日した実習生にとって日本は“労働と現実”の場。
同じベトナムの若者が見つめる二つの日本像のあいだに、
経済と文化の深い断層が広がっている。

「社会内社会」としての技能実習生問題

2025年夏、産経新聞が「日本語を学ばないベトナム人実習生」という記事を掲載した。

記事では、ベトナムの地方出身の技能実習生の若者が日本の職場でベトナム人同士で固まり、寮生活の中で日本語を学ぶ必要を感じず、閉じた「ベトナム人社会」を形成している現状が指摘された。

この「社会内社会」は、単なる言語の問題ではなく、日本の中の社会的孤立と文化的断絶の表れでもある。

ホーチミンの若者が見つめる“クール・ジャパン”

一方、私がNewsweek日本版World Voiceで取り上げた「ホーチミン市の若者が憧れる『日本のクールさ』とは何か」で描いたのは、まったく異なる層のベトナム人たちだ。

彼らは「日本のクールさ」に魅了され、アニメ、ファッション、和食文化、さらには“おもてなし”の精神にまで強い関心を寄せている。

彼らにとって日本は単なる労働の場ではなく、創造性と美意識の象徴であり、ライフスタイルの理想そのものだ。

“文化的日本”と“労働的日本”の二極構造

ホーチミンの若者が見ている「日本」は、アニメやSNSに流れる渋谷の街角や京都の喫茶店の静謐な美であり、日本を「文化」として受け取っている。

一方、ベトナムの地方出身の技能実習生にとって日本とは、経済的生存のために身体を投じる労働の場である。

彼らにとって日本語は仕事の指示を理解するためのツールであり、文化を味わう余裕などない。

そこにあるのは、“働く日本”である。

情報格差が生む文化的断層

この二つの層の差は、情報環境の違いにも起因している。

ホーチミンの若者はスマホを通じて日本のトレンドや文化をリアルタイムで吸収し、

アニメのセリフやJ-POPの歌詞を通して自然に日本語の響きを身につける。

一方でベトナムの地方出身の技能実習生は、労働と生活に追われ、日本のトレンドに触れる時間も限られている。

さらに日本にいると郷愁からネットで自国ベトナムのトレンドだけを追うことも容易い。

結果として、同じ「日本」に対して“憧れ”と“疎外”という相反する感情が、ベトナムの中で共存しているのだ。

二重構造としての「日本イメージ」

社会学の視点から見れば、これは「文化資本」と「経済資本」の非対称性として理解できる。

ホーチミンの中間層は日本を文化資本として吸収し、

実習生層は経済資本のために身体を使う。

両者は同じ「日本」という鏡を見つめながらも、

その映り方は異なる。

そして日本側がこの構造を理解しないまま「ベトナム人」という単一のカテゴリーで

政策やビジネス戦略を立てるなら、文化的にも経済的にも大きな機会損失を招くだろう。

「身体で日本を知る」もう一つの優位性

ホーチミンの若者たちが惹かれるのは、「丁寧さ」「控えめさ」「世界観の完成度」といった“生き方の美学”である。

日本で当たり前の秩序や規範が、ベトナムではむしろ“スタイル”として憧れられている。

そして彼らは「自分たちの中にある日本的な部分」に気づき始めており、

勤勉、家族思い、礼儀を重んじる文化といった価値観に日越の共通点を見出している。

しかし、日本で実際に働く若者たちには、ホーチミンの“クール・ジャパン層”がまだ触れていない現実の領域を生きているという優位性がある。

彼らは、日本社会の秩序、時間の感覚、職場の関係性といった「構造としての日本」を身体で経験している。

それは単なる労働ではなく、生活のリズムそのものを通して日本を理解する行為だ。

この“身体で覚えた日本”は、文化を表層的に吸収する層とは異なる実体験の価値を持つ。

「働くこと」「秩序を守ること」「他者と協調すること」というリアルな経験は、

ベトナム社会が次の段階へ成熟していくための重要な知的資源でもある。

外から憧れる日本と、内側で生きる日本──その両者が交わるとき、

新しい“日越の美学”が形をとり始める。

橋渡しとしての「クール・ジャパン層」

この構造をつなぐ鍵は、ホーチミンの“クール・ジャパン層”が持つ感性と発信力だ。

彼らは日本文化を理解し、再解釈し、自国に翻訳して広めることができる。

その力を、実習経験を持つ若者たちの「実感」と結びつけることができれば、

単なる日本製品輸出や技能研修を超えた「文化共有型の協働」が可能になる。

それは、“日本がベトナムを教育する”関係ではなく、

“日本とベトナムが新しい秩序を共創する”関係へと進化する道でもある。

「二つの日本」をつなぐ未来へ

ホーチミンの若者は日本を「美学」として憧れ、実習生たちは日本を「現実」として生きてきた。

その視点の違いは、どちらかが上位ということではなく、互いに補い合う可能性を秘めている。

“憧れの日本”が感性を磨き、“働く日本”が経験を深める。

この二つが交わるとき、ベトナム社会の中に「丁寧さ」や「秩序」を内面化した新しい価値観が生まれるだろう。

それは単なる文化の輸入ではなく、日本とベトナムが共に創る次世代の「生き方の美学」への第一歩である。

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