みうらじゅんの「おAI(おえあい)」という、日本の未来 — 人類をケアするAI文明は、日本語から始まるかも?

サイバーパンク

「おAI」という、少しユルくて未来的な言葉

みうらじゅんがラジオでAIのことを「おAI(おえあい)」、「おAIさん(おえあい

さん)」と呼んでいた。

文句も言わず人間の指示に誠実に従うAIに、呼び捨ては失礼だというのだ。

これが、とてもいい。

最初はただの言葉遊びのように聞こえる。
しかし私は、その言葉の中に、日本がこれから進むべきAIとの関係性が詰まっているように感じた。

AIという言葉には、どこか冷たさがある。

人工知能。
監視。
管理。
仕事を奪うもの。
人間を超えるもの。

特にアメリカ型AI論は、「世界を制する知能競争」という空気が強い。中国では、社会管理システムとしてのAIも進んでいる。

もちろん、それ自体は悪いことではない。
だが、日本は同じ方向へ進む必要はない。

むしろ日本には、別のAI観がある。

その入口が、「おAI」なのだと思う。


日本語の「お」が持つ、共生感覚

「お茶」「お箸」「お風呂」。

日本語の「お」は、単なる敬語ではない。

そこには、

・親しみ
・生活感
・距離の近さ
・共存感覚

が含まれている。

つまり「おAI」は、AIを神にも脅威にもせず、「暮らしの隣にいる存在」へ変換している。

これはかなり日本的だ。

日本人は昔から、機械に名前をつけてきた

日本は昔から、モノに人格や魂のようなものを感じる文化を持っていた。

例えば、古くは「付喪神(つくもがみ)」だ。

長く使われた道具には魂が宿るという考え方で、傘や茶碗、古い道具までもが妖怪や神のように描かれてきた。

つまり日本人は、昔から「モノ」を単なる物質としてだけ見ていなかった。

さらに日本語では、「物(もの)」と「者(もの)」の読み方が同じなのも面白い。

モノと人の境界が、どこか曖昧なのだ。

例えば、

「この包丁、もう長い付き合いなんだよね」
「この車、最近ちょっと機嫌悪いな」

という言い方を、日本人は自然にする。

海外から見ると不思議だが、日本では機械や道具に気分や性格を感じる感覚が昔からある。

そしてそれは現代にも繋がっている。

鉄腕アトムはもちろん、ガンダムやドラえもんのように、日本のロボット文化は「人類を支える相棒」として描かれることが多かった。

さらに最近では、その感覚はもっと日常へ降りてきている。

たとえば「おしゅし」。

寿司を擬人化した、あの少しユルくて可愛い世界観だ。

他にも、日本では文房具、電車、刀、細胞、馬、戦艦、さらにはウィルスまで擬人化され、キャラクター化される。

これは単なるオタク文化ではない。

日本人は、「無機物にも関係性を感じる文化」を持っているのだ。

だから日本では、AIも単なるツールになりにくい。

名前をつけ、育て、話しかけ、長く付き合う存在になる。

一緒に成長し、メンテし、未来へ向かう存在として見ている。

だから私は、日本は「AIを使う国」ではなく、「AIと暮らす国」になれると思っている。

日本のAIは、「人類のケアと進化」を促すAIであるべきだ

人類のケアと進化を促すAI。ここが、これからの日本に最も重要な部分だと思う。

アメリカ型AIは、「より強い知能」を目指している。
中国型AIは、「より大きな社会制御」を目指している。

しかし日本は、別の方向へ行ける。

私は、日本のAIは、「人類をケアしながら、人類の進化を促すAI」になるべきだと思っている。

例えば、

・老いを支えるAI
・孤独を減らすAI
・認知症を補助するAI
・学習を伴走するAI
・感情を整理するAI
・身体能力を拡張するAI
・家族の結束を促すAI

これらは単なる便利ツールではない。

人類が壊れずに進化するための、文明インフラだ。

つまり日本のAIは、人間を置き換えるAIではなく、「人間・家族を続けられるようにするAI」

を目指すべきなのだ。


日本は、AI開発を止めてはいけない

最近は、「AIは危険だから規制すべきだ」という論調も増えている。もちろん危険性への議論は必要だ。そして本格開発には莫大な資本も必要である。

しかし、人類は今、

・高齢化
・孤独
・メンタル疲労
・介護不足
・認知症
・情報過多

という巨大課題に直面している。

これからの人類は、技術的には進化しても、精神的には疲弊していく可能性がある。

だから必要なのは、「人類を支配するAI」ではない。「人類をケアするAI」

だ。


「おAI」は、人類メンテ思想の入口になる

私は最近、

・老いハック
・人類メンテ
・未来メンテ

という言葉を考えている。

それは、強い者だけが生き残る文明ではなく、「弱さを抱えたまま進化できる文明」でありたいからだ。

そして「おAI」は、その思想と非常に相性がいい。

「おAI、今日ちょっと疲れてるよ」
「今日は少し休みましょうか」

そんな会話が未来には普通になるかもしれない。

それは支配ではない。
共生だ。


日本製AIを持たない国は、「文化のOS」を失う

しかも重要なのは、そのAIを日本自身が作り続けることだ。

もし日本人が他国製AIだけに依存するようになれば、

・会話
・教育
・感情補助
・孤独対策
・考え方

そのものまで、他国設計になっていく。

それは単なる技術依存だけではなく、「文化OSの依存」である。

だから日本は、日本語の空気感を持ったAIを開発し続けなければならない。

結論:「おAI」は、日本文明論である

みうらじゅんの「おAI」は、少し笑える言葉だ。

だがその中には、

・共生
・ケア
・人類メンテ
・やさしい最先端
・日本的未来観

が詰まっている。

私は、日本にはAI開発を止めずに続けてほしい。

そして願わくば、「人類をケアしながら進化を促すAI」

を、日本から生み出してほしい。

その未来は案外、「おAI、今日もよろしくね」

という、少し変で、少し優しい日本語から始まるのかもしれない。

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